2021-03-19 第204回国会 衆議院 外務委員会 第4号
歴史を振り返りますと、日露戦争前の日英同盟を結んだのは、第十八代また二十三代外務大臣であられた小村寿太郎さんの存在がありました。一方で、太平洋戦争突入前の国際連盟の脱退、あるいは日独伊三国同盟締結、あるいは日ソ不可侵条約、あるいは日ソ中立条約とも言われますが、この辺りの中心人物は松岡洋右さんという第六十三代の外務大臣でいらっしゃいました。
歴史を振り返りますと、日露戦争前の日英同盟を結んだのは、第十八代また二十三代外務大臣であられた小村寿太郎さんの存在がありました。一方で、太平洋戦争突入前の国際連盟の脱退、あるいは日独伊三国同盟締結、あるいは日ソ不可侵条約、あるいは日ソ中立条約とも言われますが、この辺りの中心人物は松岡洋右さんという第六十三代の外務大臣でいらっしゃいました。
宮崎県も毎年、小村寿太郎国際塾みたいな形で、外務省にもいろいろ宮崎の子供たちがお邪魔したりとか、いろいろな小村の顕彰といったようなことも取り組んでおるんですが、やはり日本外交においては大変大きな役割を果たした方であるわけでございます。 外務省にこれは一つお願いでございますけれども、外務省の敷地に行きますと、陸奥宗光先生の像なんというのがあるわけです。
○岸田国務大臣 小村寿太郎外務大臣について御質問をいただきました。 小村大臣は、第十八代と二十三代の外務大臣であったと承知をしております。ちなみに、私が百四十三代目と百四十四代目だと聞いております。
私は宮崎県の出身でありますが、我が郷土の偉人でもございます、外務大臣を務めた小村寿太郎という人がおります。もうよく御存じかと思います。 この小村寿太郎という人は、宮崎県、今の日南市に当たります飫肥藩という大変小さな藩の出身でありまして、また、家が非常に借金を抱えて大変苦労しながら、陸奥宗光に認められて身を立てたという人であります。
現代の通商ルールは、当たり前ですが、関税は交渉で決定するというもので、小村寿太郎が交渉する前の日本のように、一方的に関税を押しつけられるなどという時代は、もう百年以上も前に過ぎ去っています。もし、あのときの総裁選で石原幹事長が党総裁に選出されていたら、今ごろTPPは交渉にも入っていなかったし、大筋合意もしていなかったということなんでしょうか。
TPPについてプラスになるのかマイナスになるのかは簡単に言えない、こう思うわけでありますし、いずれにしろ、甘利大臣が行かれる、そして、二十二、二十三、二十四日に向けて、日米首脳会談に向けての山場ということでございますから、その結果を踏まえてしっかり議論させていただきたいとも思いますし、この場では、甘利大臣及び岸田外務大臣が小村寿太郎にならないことをぜひお祈りしたい、こう思います。
それ以後も、日露戦争のときの小村寿太郎外務大臣ですとか、あるいは、日中国交回復のときに尽力されました大平正芳外務大臣ですとか、また、我が広島の先輩、郷土の先輩としましては、宮沢喜一外務大臣あるいは池田行彦外務大臣、こういった先輩方がおられます。
例えば、外務大臣として名前を挙げられた方々の中に、小村寿太郎であったり、あるいは日中国交正常化の場面であったり、非常に国論を割るような、不平等条約あるいは日中の国交正常化といった、国内の世論との関係も非常に難しい局面での外務大臣というお名前もありました。
小村寿太郎さんのとき頑張って回復したのを進んでゼロにするというんですから、おかしな話だと私は思いますけれどもね。あっていい話なんです。それをゼロにすると。 しかし、こんなことを言っていると、アメリカというのはとんでもない国だから、韓国もそうだから、気がついて、韓米FTAはおかしいと。
あのときに、桂太郎内閣、そして小村寿太郎外相と、そして高橋是清が日銀副総裁なんですね。で、戦費の調達から始まって、そして、もちろん日英同盟をまずやる。そして、戦費の調達、また軍艦の入手、そして仲介、仲裁国のところまで考えてやっていく。そしてまた、世論のつくり方、アメリカによる世論のつくり方、そしてまたロシアにおいての、何といいますか、反政府行動等についてもいろんな工作をすると。
至らぬ点を改める国、改国ならいざ知らず、小村寿太郎翁の努力の末、関税自主権回復からちょうど百年のことし、国家の根幹たるその関税自主権を放棄し、壊す国、壊国への猪突猛進など、後世の日本人に顔向けできません。 議場に集う皆さん、国民のために、日本のために、TPP交渉協議への参加表明を是が非でも阻止しようではありませんか。
○山本香苗君 歴史といえば、「坂の上の雲」の第二部が来月から始まりますけれども、仙谷官房長官は十月十三日の記者会見で、日露戦争後のポーツマス条約締結時の暴動の例を持ち出されて、今回の衝突事件で釈放や逮捕だけ取り出してどうのこうのと声高に叫ぶことはよろしくないと発言されたそうですが、条約締結における小村寿太郎外相の経験の意味するところを間違って引用されていると私は思います。
そのときに、例えば伊藤博文は日露協商という道を模索した、小村寿太郎は日英同盟ですよ。そういう大きな選択肢の中で物事を考えてきた。こういうことをきちんとおやりになっているのかどうなのか。 例えば、これからロシアとの北方領土をめぐってどういう展開をしていくのか。
政府・与党の中には、日露戦争後のポーツマス条約に臨んだ小村寿太郎の例を引き、真実を伝えれば国民世論が激高しかねないとして映像の非公開を正当化する意見があるやに聞くが、これこそまさに笑止千万である。当時の国民が激高したのは、時の政府が国民に伝えるべき真実を明らかにしてこなかったからにほかならない。
それを記者会見で、そしてまたこの予算委員会で繰り返し小村寿太郎と自分を対比して言っているじゃないですか。どこが似ているんですか、あなたと。 取りあえず別の質問に移りますが、また戻りますよ。
○国務大臣(仙谷由人君) 今日も某新聞が先生が今おっしゃられた論理をお書きになっておったわけでありますが、私は、日本の大政治家小村寿太郎に私をなぞらえたり決していたしておりません。それほどうぬぼれているわけではありません。
おとといの官房長官記者会見、そして昨日の予算委員会のやり取り、自分を小村寿太郎外務大臣になぞらえていますね。私はおこがましいと思いますよ。命を懸けて国益を守った小村寿太郎氏とあなたは似ても似つかないじゃないですか。 〔理事森ゆうこ君退席、委員長着席〕 民主党代表選挙に──まだ早いですよ。
ですから、是非この事案について、もう少し長い目で国民の皆さんにも見ていただいたときに、私は、例えば歴史を見ると、非常に格好よく松岡洋右さんが国際連盟を離脱して日本に帰ってきて大喝采を受けた例、逆に日露戦争の後帰ってきて小村寿太郎氏が言わば石を投げられたり、いろいろありますけれども、やはり歴史の中で判断されることであると思いますので、是非、山本議員にも冷静に歴史によって判断されるような討論を今後もお願
また、日露戦争後の小村寿太郎とウィッテの息詰まるようなやり取り、こういうことを考えますと、やはり政治の場あるいは行政の場でも相当慎重な取組をしなきゃならないと思うんです。 私どもがどうこうして十三年間掛けてもう一息のところまで来たということはあえて申し上げません。
○国務大臣(石破茂君) 別に私は悪者になることを恐れているわけでもありませんし、いつも大体悪者になっているような気もしないわけではございませんが、これは常に農林水産大臣あるいは農林水産省が悩むところでありまして、非常に妙な言い方をすれば松岡洋右か小村寿太郎かみたいな話でありまして、悪い合意ならばしない方がいい、それはそのとおりなのでございます。
私は、ここで明治の、あの陸奥宗光でしたか、あるいは小村寿太郎という外務大臣がいらっしゃいましたが、日米不平等条約を、不平等条約を改正するために必死に頑張ったそういう外務大臣だったというふうに記憶しております。是非、外務大臣も浜田防衛大臣も、必死に地位協定の改正をやっていくんだと、こういう立場から官房長官を支えていただきたいと。一言ずつ、やりますかやりませんかの答弁をお願いいたします。
あの講和条約の前後ぐらいが一番日本としては厳しい選択を迫られておって、単独講和か全面講和かとかいうので国論を二分しておった時代でしたので、小村寿太郎の話を聞かされたり、松岡洋右の話を聞かされたりして、小学生、六年かそんなものだったと思いますが、余りよくぴんときていなかったと思いますが、何となく置かれている状況の厳しさというのが我々にも伝わってくるところでして、子供心に、政治家というのは置かれた状況においては
それは、小村寿太郎外務大臣がポーツマス条約から帰ってきた、それに対して怒ったわけですね、国民は。軟弱だといって怒って、そしてあちこちで暴動が起きた。ところが、そのとき、朝日新聞が逆にあおっているわけです。その当時の朝日新聞は、講和会議の主客転倒、桂太郎内閣に国民や軍隊は売られた、小村許しがたしということで、今の朝日新聞とは逆です、非常に国粋的で。外相小村寿太郎は必死で日本の国益を守ろうとした。
○高村国務大臣 小村寿太郎外相と松岡洋右外相の評価については委員と私と相違がない、こういうふうに思っております。 ただ、海上自衛隊を外に出すのは、別にタカ派でも何でもない。タカ派でも何でもないんです。タカとかハトとか関係ないんです。あれは、武力行使していないんですよ。国連決議があれば海外で武力行使をしてもいいんだというような、そういう論理を我々はとっておりません。
あの人の本、「陸奥宗光とその時代」、「小村寿太郎とその時代」、「幣原喜重郎とその時代」、三部作ありましたけれども、あれ読んでいただいたら、計算していますよ。大体、関税自主権がなかったから日本国は十兆円取られたというんですよ。十兆円、関税自主権がなかったがゆえに。だから、それも僕に言わせればビクトリア循環。十兆円どこに行ったか。主にイギリスを中心とするヨーロッパに行ってしまいました。
そこの中で、やはり青木周蔵さんとか、それから一番有名なのは陸奥宗光さんかもしれないし、小村寿太郎さんかもしれませんが、先人たちが努力をして日本の自治というものを回復してきたという歴史的な経緯があって、今の日本というのが果たしてそういう状況にあるのかどうかというのを我々は改めて考えてこなきゃいけないんじゃないのかなと、そう思います。
この件に関しましては、生まれられる前の大分前の話だと思いますが、松岡洋右、小村寿太郎という二つの例だと思います。当時、ポーツマス条約を結んだ小村寿太郎は、焼き討ち食うやらえらい騒ぎで迎えられた。傍ら、国際連盟を脱退した松岡洋右はちょうちん行列で迎えられた。歴史はどっちを評価したかといえば、明らかに小村寿太郎の方が高かったのではないか。